震災から5年経って思うこと

 

久しぶりの更新です。姪っ子はすくすくと育っています(いや会ってないから分からないけど、育っているはず。育っていてくれ)。

他方、孫育ての戦力となるはずの父が骨折するアクシデントが。本人の不注意によるもので、とほほと思いましたが、運転できない私は帰省しても実際、何の役にも立てず。実際に大変なのは母と弟夫婦なので、愚痴を聞くのに徹しております。

 

ところで先日、何の気なしにデイリーポータルZを見ていたら、大山顕さんの記事↓

portal.nifty.com

何と私の帰宅ログが載っている!!! 具体的には2番目の、「持病を持ちながら帰宅した方」が私です。

今振り返っても、月1回、カウンセリング・通院の日で都内に出向く日が、東日本大震災と重なるとは。それ以外はほとんど電車に乗らないというのに。

あの後の混乱を考えると、クリニックと薬局が開いてくれたことで持病の薬、特に睡眠導入剤を確保できたのは結果的に良かったかもしれませんが、でもやっぱりその日のうちに帰宅できず、避難所に泊まることになるという経験は大変で私の中では軽いトラウマになっているようです。

その後主治医が変わって、今でも都内のクリニックに通っているのですが(カウンセリングは相応の期間通ったのでお休み中)、緊張するのです。

 

あの日よかったこと:

Twitterで夫との連絡が取れたこと

・歩いて帰るのは無理だと割りきったこと

・地図を入手したこと(避難所に行くのに使いました)

・夜の間は単独で動かなかったこと

・翌朝、絶混みのJRで帰るのを早々に諦めて、南北線から埼玉高速鉄道、バスで帰るというように、臨機応変に対応できたこと(夫のアドバイスに感謝)

・現金を下ろして当座の資金を確保したこと

・持病の薬を持ち歩いていたこと

・水をコンビニで確保できたこと

 

反省事項

・携帯の充電をしておかなかったこと

・携帯の充電器を持ち歩かなかったこと

・予備のメガネを持ち歩いていなかったこと(強度の近視乱視なのです)

 

今電車に乗る機会に持ち歩いているもの

・持病の薬(4日分)

お薬手帳 

・古いメガネ×2

・水またはお茶のペットボトル

ガラケー+SIMフリ-スマホ(但しデータ通信のみ)

(充電池は早いうちに買わないとなー)

 

読んでくださった方は、主治医を歩いていける範囲のクリニックに変えればいいじゃない、と思われるかもしれませんが、病気の性質上、なかなか難しいのが現状です。

 

 何かまとまりありませんが、整理のために書いてみました。これでトラウマが解消されればいいのですが…